2025年10月5日 主の日礼拝式 メッセージ

メッセージ

『つまずきの石』 Stumbling Blocks

1.―懐疑的な見方―  Skeptical View        

マタイの福音書13:53〜58(新改訳28ページ、口語訳22ページ)

プログラム

礼拝式ライブ配信

 

巻頭言

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「懐疑的な見方」
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イエスは公の宣教を始めてから、少年期に育った故郷ナザレにほとんど戻らなかった。ある時ナザレの会堂で教え始めた。イエスの知恵と奇跡の噂はナザレにも広まっていたが、人々はイエスを歓迎したのではなく、イエスに驚いた。それは肯定的な驚きではなく、懐疑的な驚きだった。幼い時から知っている、小さな村の大工の子が、正式な訓練も受けていないのに、卓越したラビであるはずがない。彼らはイエスにつまずいた(マタイ13:53-58)。「つまずく」は、イエスの山上の垂訓にもある「もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい」などの霊的な惨事を意味するのではなく(5:29-30)、バプテスマのヨハネが弟子を遣わして、イエスを確かめたのに似ている(11:6)。それでも、ナザレの人々のつまずきは、彼らの不信仰を表す。それは弟子たちがイエスから言われた「信仰の薄い人たちよ」よりも(6:30)、もっと深刻な不信を示す。救いはイエスにある。しかし、懐疑的な心は主イエスに救いを求めることを妨げるつまずきの石となる。イエスにつまずくのではなく、信頼する心を持てるよう祈ろう。(川井信雄)




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